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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

審判も結局神様の愛であった

2012/07/23
原理を学ぶ 1
stadium

昨日は午後からピースカップの3位決定戦ならびに優勝戦が、水原(スウォン)のサッカースタジアムで行われたので、修練生全員が観戦・応援に出かけました。

2回観戦に行ったのですが、不思議と雨が降りません。
1回目は直撃するはずだった台風がいつの間にか消えてしまい、昨日は行く途中土砂降りだったのに、着いてみるとからりと晴れて、暑いほどでした。

初戦を勝ち上がった城南一和(ソンナム・イルワ)は、ドイツのハンブルグと優勝戦を戦いましたが、チャンスをものにできず1対0で惜敗、2位に甘んじました。

ゲーム終了後は素晴らしい光の演出のフィナーレがあり、最後の優勝チームへの表彰はご父母様(文先生ご夫妻)が直接なさいました。

☆☆☆

代表者たちの講義演習がづっと継続しています。
すでに200人を超える講義者が演壇に立ちました。

6人の講義が終わる度に、小山田先生と周藤先生が交互にコメントをしてくださり、それがとても参考になります。
と同時に、「講義とは奥の深い、難しいものだ」と、つくづく感じます。

コメントの中から、いくつか記します。

● 原罪はなぜ私では清算できないか

原罪とは、エバと天使長、エバとアダムが犯した性的な罪、人類最初の罪です。
これには、心と体と両方関わっています。

ところで、罪を犯せばそれを清算(蕩減)しなければならないのですが、アダムとエバはそれをしていません。
2人が罪を自覚した後、それを悔い改めていたら、神に赦しの道を尋ね、聖別生活をするなり、何らかの蕩減条件を立てなければなりませんでした。

しかし、2人にはそのようにした形跡がありません。
エデンを追い出された2人はノドに住みながら、次々に子どもを産んでいったのです。

そして、そのまま2人は死にました。
すると、清算されないままに残った罪は子孫にいくしかありません。
ところが、子孫たちは誰一人として、その原罪を清算できる者がいないのです。

なぜなら、
原罪のある者は、原罪を清算できない
からです。

それで、神様が当初の創造目的を成就するためには、どうしても原罪を清算できる「無原罪」の人を作り出すしかないのです。
ですから、復帰の歴史の中心目的は、
無原罪の人(男性)を1人作り出すこと
にあったのだと言えます。

● 殺人者カインの子孫たち

カインは弟のアベルを殺す前、ある意味で中間位置にいたのです。
神の子として創造された本性はありますから、サタンも無条件に取っていくことはできません。

ところが、彼がアベルを殺した時点で、殺人者となってしまい、完全にサタンに取られてしまいました。
それで、彼の子孫たちは、神様がまったく相対できません。

彼らがいくら増えたとしても、神様に帰ってくる可能性がありません。
ノアを通して120年間の猶予を与えましたが、結局は1人も帰って来ませんでした。
いくら言ってもだめなので、神様は洪水審判で一度に打って、彼ら全員を一気に霊界に送ったのです。

これは一見、極めて無慈悲のようにも見えます。
しかし、このように打つことによって、彼らは霊界で「中間位置」に戻ったのです。
ここから、再復帰の可能性が出てきます。

後日、イエス様が十字架にかかって亡くなられた直後、3日間の墓中期間がありました。
その時、神様はイエス様を地獄に送られ、洪水で亡くなり、中間位置で待っていた人々を伝道させたのです。

審判も結局、神様の愛だったのです。

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2012/07/24 (Tue) 13:42