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分離主義者の苦悩

kitasendo
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もし、利己的であったり、自己中心的な意識を持っていたりすれば、私は、自分をほかの人たちとはっきり区別するようになります。そして、自分よりはるかに多い数の他人がいて、彼らはみな私と対抗しており、自分に不利なゲームになっていると考えるようになります。

自分をほかに人たちから徹底して分離したので、私は自分をより多く守らなければならず、より多くの保護のバリアーで防備しなければならず、より多くの慢心と利己的自我で武装する必要性を感じるのです。
そして、継続して世の中のほかの人たちと緊張と闘争の関係の中で生きるようになるので、
「彼らはみな、私の足首をつかむためにいらだち、私とはいつも競争している。彼らはみな私を嫉妬している」
と考えるようになるのです。
(文亨進『天和堂』p.67)

これが「分離主義者」の陥る実情です。
「分離主義」は明らかにアダムとエバの堕落の時から始まったものであり、天使長ルーシェルが最初の「分離主義者」だと言えます。

分離主義者の生き方は、実に大変です。
自分の周辺はみな自分の敵、あるいは競争相手に見えるので、自分の周りにより高い壁を築いて自分を守らなければなりません。
自分が相手の上に立って君臨しなければ、自分が相手に従属しなければならず、自分が相手から搾取しなければ、自分が搾取されるのです。

自分の心の中に他人を無防備に受け入れることはできないので、自分の人生から徹底して他人を排除しなければなりません。
そのために他人を憎んだり、恨んだりするようにもなります。

他人と自分との関係は、
① 相手が上
② 相手と自分が同等
③ 自分が上
の3通りです。

①の場合は、嫉妬や妬みが起こり、
②の場合は、競争心に追われ、
③の場合は、蔑み、自己満足に捕らわれます。

これほど心が騒がしい、辛い生き方を、誰がわざわざ選ぶだろうかと思われますが、実のところ、私たちの生活の大半はこのようになっているのではないでしょうか。

誰の本で読んだのか忘れましたが、
「あっという間に幸せが増える方法があります。自分がいくら頑張っても、『ありがたいな』『運が良かったな』と思えるようなことは1日にいくつもないでしょう。しかし、周辺の人たちの幸運や幸福を自分のことのように喜べば、私の幸福はいながらにして数倍、数十倍に増えるではないですか」
というアイデアに出会ったことがあります。

非常に良いアイデアですが、「分離主義者」にはほぼ実行不可能な方法です。
これができる人を、
「統一主義者」
と呼びます。

「統一主義者」は、自分と他人が相互に連結されていて、同じ運命を共有する「神様の子ども」だと考えます。
統一主義では、お互いの関係は対立や競争ではなく、一つの家族として和合すべき関係です。
そうなれば、人の成功を心から喜ぶことができます。

「分離主義」から「統一主義」への転換。
「憎しみや怒り、自己正当化の列車」から「共感と和合の列車」に乗り換える。
これもまた、心身統一修練の大きな目標の一つです。

【関連記事】
「統一主義と分離主義」



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日韓太郎

他者の幸せを、我が幸せと考え、あなたが私であり、
私はあなたと考え、共感、調和、和合を実現する
統一主義こそ、同じ父母なる神様に侍る
兄弟姉妹関係の基本とすべき関係であると思います…
その中心は、父母なる神様であり、愛であり、心情である、
いつでも、どこでも自己中心ではなく、
心情の火を燃やして、その火を灯し続ける
人間でありたいものです…
人間は、この火を消して、自己中心な情念で、
神様の愛と心情に背を向け、背反する生活をしています…
これを克服しなくてはなりません…

ありがとうございました…m(_ _)m

2010年01月06日 (Wed) 14:54
きたせんど

昨日のテレビ番組で、家族を持たず、仕事と家を失った初老の男性が取材に答え、
「誰とも関係をもっていないというのは、存在する意味が無いということでしょう?」
と話していました。
本当にその通りだと思います。
1人で存在することには、何の意味もないでしょう。

2010年01月07日 (Thu) 13:57
kitasendo
Admin:kitasendo