この度の日大アメフト部の騒動については百家争鳴状態で、アメフトも知らない私の出番はないのですが、素人なりに思うところを少しだけ書いてみようと思います。 監督とコーチは、 「クォーターバックをつぶせ」 という指示を出したことは認めた。 しかしその上で、 「ただ、それは怪我をさせろいう意味ではない。思い切って当たれという意味だ」 と釈明したのです。 「問題は、こちらの言葉を誤解して反則プレーをした...
「堕落性を脱ぐ生活②『なぜその声を聞かなかったのか』」の続きです。 「堕落による死とは霊的な死である」 と、原理講論の「復活論」にあります。 霊的な死とは、サタンの主管圏に落ち込んだ状態のことを言いますから、その状態から神の愛の主管圏に帰っていかないといけない。 それを「復活」と言うわけです。 復活には2つの側面があると思います。 一つは、堕落によって作られてきた「罪」を清算すること。 もう一つは、やは...
「なぜ弁解してしまうのか」の続きです。 「弁解」というの名の数百万年も続いてきた堕落性が、いつ、どこで、どのように始まったのか。 それを正確に分析してみましょう。 それはエデンの園にまで遡ります。 アダムとエバが善悪の実を取って食べた後、神様に 「あなたはそれを取って食べたのか」 と問い質されました。 最初にアダムはこう答えました。 「私と一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、...
自覚なく そのように生きてきました。
そして 今もそうなので しっかり 私の心をみて 分別するためには みことばが必要です。
「堕落性を脱ぐ生活」と題して行った講義の抄録を数回に分けて載せようと思います。★★★人間の堕落性について、お父様はこんなふうに言っておられます。 生涯の何年間にわたって身につけられた習慣性をなくすためには、死ぬほど努力しても足りないというのです。言い換えれば、何百万年も続いてきた習慣性と堕落性を抜き取るというのは、数世紀の人生路程をもってしてもできないというのが理論的です。 (『天聖経』8-1-3-2...
イエス様が宣教中に一人の律法学者から質問を受けます。 「律法の中で、どの戒めが一番大切なのですか?」 するとイエス様は、数ある律法の中からわずか2つだけに絞って答えられる。 第一が、心を尽くして主なるあなたの神を愛せ。 第二が、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せ。 これは聖書の中でも有名なエピソードです。 律法学者は「イエスをためそうとして」聞いたとありますが、むしろイエス様の知恵として聞い...
みことばは神様の愛ですが 堕落して
無知に陥り それがわからなくなってしまったので わかるまで
講義とか 説教とか 和動とか 長くなるしかないんでしょうね。
先日書いた記事 「川上で堕落性を解決する」 に対して、 「川上でどのようにすれば浄化できるのか」 という質問のコメントをいただきました。 それにお答えするために、まず今回は記事を少し捕捉します。 「私」が自分の思いをコントロールできていないということを示す実験結果があります。 「指を動かしたい」 という気持ちになった時に、指を動かしてもらう。 「指を動かしたい」 と意図した瞬間から実際に指が動く...
次も宜しくお願いします。
「心とは何だろう?」 と考えるとき、私にとって第一の拠り所は、創造原理第6節です。 生心と肉心との関係は、性相と形状との関係と同じく、それらが神を中心として授受作用をして合性一体化すれば、霊人体と肉身を合性一体化させて、創造目的を指向させる一つの作用体をつくる。これが正に人間の心である。 二性性相原理に基づいた論理的な説明なので、納得できるような気になります。 少なくとも、次のような文先生の...
膨大な潜在意識が顕在化してくる。
ホ オポノポノによると
「ごめんなさい、許してください、ありがとう、あいしてます。」を唱えることで、潜在意識が浄化されるとありますが。
一度では終わらないだろうなと薄々思ってはいたが、やはりもう少し書いてみます。 岡潔・小林秀雄の「直観と確信の雑談」(『人間の建設』)です。 岡がやってきた数学の専門内容は、小林には分からない。 しかし、人間の知性、もっと言えば情緒の営みとして、小林は興味を持つのです。 「岡さんの数学というものは、数式で書かれるほうが多いのですか、それとも文章で表されるのですか」 という質問は、いかにも言葉の...
大学生の頃に愛読した本が地元の小さな本屋の書棚に、薄っぺらい文庫版になって並んでいるのを見つけ、一も二もなく買い求めました。 『人間の建設』(小林秀雄・岡潔) 本の裏表紙には、 「日本史上最も知的な雑談」 と謳っています。 確かに、自由な雑談の魅力は横溢している。 しかし「知的」と言えば、それはちょっと違う気がします。 小林は岡の文を読んで、 「あなたは自分の確信したことしか文章に書いていない...
先日まで6回にわたって「感謝する生活」の講義を抄録してきて、一応結論までいったのですが、追補してみようと思います。 私たちが今日、生活の中で遭遇する苦痛、さまざまな問題の根本起源は、アダムの家庭にあると考えられます。 人類初代のアダム・エバは愛の問題を起こし、その後、責任転嫁をするという堕落性の根を作りました。 さらにその二世であるカインとアベルは、妬みから殺人事件を起こしたのです。 ここで...
でもそうやって、自分の感情を閉じ込めることで、堕落性が脱げると教わりました。
(「あなたはカインでしょう? 私はアベルなんだ。アベルに絶対従順しなきゃ」とよく言われました)
ブログ主さんとしては自分の素直な感情や意見は、アベルに伝えても大丈夫ということですか?
より建設的な関係を作るには、意見交換した方が良いかと思うのです。そうすれば誤解も解けるし、発展につながります。
スマホの不具合で、数回送信しました。コメントが重複してしまい、すみませんでした。
「カインはアベルに従順屈服して堕落性が脱げる」というのは、復帰原理の基本のように思ってきましたが、最近は原理講論に対する解釈がちょっと間違っていた、というか、浅かったのではないかと考えるようになりました。その考えはこの「感謝する生活追補『アベルを変えようとしない』」に書いた通りです。
アベルとカインは父母を中心として兄弟ですから、素直に忌憚なく話し合うのが本来だと思います。もちろん兄弟としての一定の礼儀を無視してはいけないと思いますが。
そして同時に、過去の記憶を癒していく必要もあるでしょうね。かつての青年たちは心にさまざまな傷を持っていますから。我々を苦しめているのは過去の辛い体験そのものではなく、その体験についての「記憶」だと思います。それで、その「記憶」をいかに消していくかということが重要だと考えます。神様にとっても、人間の堕落や復帰摂理の苦痛の記憶を完全に消し去ることが、復帰摂理の完了になるのではないかとも考えています。
おっしゃる通り、私はもう何年も教会へ行っておりません。(教会が分裂していたことは、最近知りました)
教会という組織が怖くて、通えなくなりました。教会やアベルを憎んだりはしておりません。ただ、怖いだけなんです。
現在はどこの宗教団体にも属していないのですが、祈りは続けており聖書も読み続けています。
「○○様の御名を通して」祈っています。
しかし、やはり実体のアベルを作らないと、祈りは通じないのでしょうか?
NHKの朝ドラ「半分、青い。」のヒロイン、楡野鈴愛(にれのすずめ)が高校を卒業して、いよいよ東京へ出る決意を固めるところまできました。 売れっ子漫画家、秋風羽織の目に留まり、上京を誘われたのです。 本人は意を決したものの、最大の難関は母親の晴(はる)。 地元の農協から内定をもらったところで晴に上京の意を伝えると、案の定彼女は逆上する。 さらにもっと悪いことには、秋風事務所からかかってきた電話を...
一族と韓国人幹部に自問するよう呼び掛けてみてはいかがかな。恨を反日朝鮮出カルトからよ~く教えてもらったよ。
大嘘付き反日カルトは、恨みを教えるのは得意だけど、甘受からは程遠い民族で、恩を仇で返す民族だった。
朝鮮で、甘受~って叫んでみてはいかがかな?