FC2ブログ

教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

TOP > 2013年04月

鯉のぼり泳ぐ4月の午後に

鯉のぼり泳ぐ4月の午後に

昨日の日曜日、礼拝が終わって午後から、同じ区域の日韓家庭の家にメンバーが集まりました。 メンバーの婦人が以前に文鮮明先生の自叙伝を渡した方で、韓国文化に興味のある婦人がおられたので、一度本場の韓国料理をご馳走しましょうということで誘ったのです。 数人のメンバーと相乗りをし、最寄りの駅の駐車場に車を止めて見ると、頭の上にたくさんの小さな鯉のぼりが風に吹かれて泳いでいました。 天気は晴れやか、五月間近の...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

管理人のみ閲覧できます * by -

この度開かれた扉は、二度と閉じられることはない

この度開かれた扉は、二度と閉じられることはない

「スピリチュアリズム普及会」のサイトによると、近代のスピリチュアリズム運動は、1948年に始まったと見ます。 この年は、奇しくも、マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」がなされた年でもあります。 心霊運動と唯物運動とが、全く反対の方向に向かって、同時に出発したのです。 再臨主が誕生される72年前のことです。 霊界と深く関わる宗教は、人類の歴史とともに古くからあります。 キリスト教世界では16世紀の初...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

唯心論とスピリチュアリズム

唯心論とスピリチュアリズム

  原理講論の「総序」に、 「神の救いの摂理が完全になされるためには、この新しい真理は今まで民主主義世界において主唱されてきた唯心論を新しい次元にまで昇華させ、唯物論を吸収することによって、全人類を新しい世界に導き得るものでなければならない」 という一節があります。 ここにある「唯心論」は、英語版の原理講論では「spiritualism」となっています。ところがこの両者には、その意味合いに若干のズレがあるよ...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

私を救ってくれるのは神様ですか、先祖ですか?

私を救ってくれるのは神様ですか、先祖ですか?

原理講論の中には霊界について触れられた箇所は多くありませんが、その中でも先祖との関係についてはほとんど言及がありません。 唯一その問題に触れているのが、復活論の「悪霊の復活現象」を説明した部分です。 ところが、文先生ご自身はしばしば地上人と先祖のとの関係について話されることがあったようです。(『原理に関するみ言の証』史吉子著を参考) 誰かが物事をうまく達成すれば、 「彼は先祖が良くてうまくいったね」 ...

... 続きを読む

* by Lina
私も常々気になっていたトピックです。先祖解怨の恩恵だけに頼ることはできませんが、解怨前と後では導かれ方に雲泥の差を感じます。

Linaさんへ * by 教育部長
解怨後にどのような違いを実感しておられるのか、聞きたいところですね。

先祖解怨後 * by Lina
御言のシンクロニシティが多くなり、訓読会では御言が五臓六腑(笑!)にしみわたることが多くなりました。
今までは義務的で嫌々だった信仰生活を、いかに確立させるかを模索するのが楽しくなりました。
外的には物事に対する考え方が変わり、人間関係で悩まなくなり、タイミングに導かれるようになりました。
心の中にずっとあった何かトゲトゲしたものもなくなりました。

Re: 先祖解怨後 * by 教育部長
素晴らしい証ですね。
私も似たような感覚を持っています。1996年に清平の40日修練会に参加して以来、清平に生かされたという感覚が強いです。
ある時、大母様の祈祷室で「世界一の原理講師になります」などと祈ってしまったのですが、これはまだまだ遠い課題となっています。

信仰者と心の闇

信仰者と心の闇

先日、マザー・テレサが生涯抱えていた「心の闇」について書きました。 その後、いくつかもコメントもいただき、私もあれこれ考えてみると、 「心の闇を持たない信仰者はいないのではないか? 信仰が深まれば深まるほど、心の闇も深くなるのではないか?」 という気がしてきたのです。 試みに、聖書に登場する主だった摂理的な中心人物たちを見れば、そのほとんどが一度ならず神様から見捨てられたような境遇を通過しています。 ...

... 続きを読む

ヤコブの信仰を見習いたい。 * by fatherfujioka
>マザーの本当の貢献は、インドの貧しい人々を慰めたということではなく、神様を慰めたことだったかも知れません。
深い一言です。
最悪の状況であっても逆に神様を慰められると思えば、感謝して立ち向かえるかもしれません。



「私は見捨てられた」マザー・テレサ「心の闇」

「私は見捨てられた」マザー・テレサ「心の闇」

「わたしは、何も持たないという喜びを持っています。神が存在するという実感さえありません。祈りも、愛も、信仰も、何もありません。あるのはただ神への憧れから生まれる絶え間ない痛みだけです」 これは誰の言葉だと思われますか? 貧しいながらも、一旦は信仰を持って神に祈りもした人が、何かのきっかけで信仰を失った。 それでも神を忘れられずにいる。 徹底した信仰を持てず、俗念に悩まされる、迷い多き人のような印象を受...

... 続きを読む

* by 三塚英夫
この記事を読みながらヤコブのことがふと思い浮かびました。ヤコブもまた、いったんは神様から捨てられたような境遇の中で、勝利した人です。ヨブもまた、そのような人物でした。神様が愛される人は皆、このような露呈を歩まなければならないのでしょうか。それが心情の蕩減なのでしょうか。
思えば、お父様も正しき人を否定されたり、厳しく接してこられ、我々が見て正しくない人の意見を受け入れ、その人を用いてきたのも、この心情の蕩減があったためだったと思います。それを悟れなかったばかりに、お父様につまずき恨んでいる人が多いのだと思います。100%正しいことをして否定された時、それを感謝で超えていった時に心情の蕩減が晴れていくのだと思います。
罪の償いが蕩減である、という程度の信仰では、結局恨み多き信仰者の姿となっていくのではないでしょうか?

三塚さんへ * by 教育部長
確かに、ヤコブもヨセフも、あるいはモーセも、摂理の中心者たちにはそれだけ大きな試練が必ずありましたね。マザーも50年をかけて一つ一つ階段を登るように、心の闇を克服していく過程を通過されたようにも思えます。

* by tenmondai
遠藤周作の『沈黙』もこれがテーマでしたかね。殉教者への神の沈黙でした。

管理人のみ閲覧できます * by -

詩篇22篇 * by エルシー
イエス様が十字架上で、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか!」
と叫ばれました。

イエス様も自分のためではなく神様のみ旨のために公生涯を歩まれたのに、行けば行くほど弟子たちに裏切られ、最期には神様からも見捨てられたのです。

-------------

上の部分ですが、このイエスの言葉は十字架刑を預言した詩篇の22篇の冒頭を述べられています。神への賛美の言葉が後に続きます。イエスが最期に神に見捨てられたという解釈は正しくありません。

「私ほどに深刻な者がいない」

「私ほどに深刻な者がいない」

先日4月14日に行われた「72周年日臨節大会」の時に、壇上に立った李海玉サモニムが、 「今日はここに、21歳のお父様が来ておられます」 と言われたのですが、後になってその時の証を聞いてみると、話を終えて席に下がろうとした瞬間、お父様の強い思いが突然伝わってきたのだそうです。 「私はあまりにも深刻なのに、誰ひとり私のように深刻な者がここにはいない」 という思いが胸にぶつかってきて、驚いたと言われました。 ...

... 続きを読む

植物には本当に心がある

植物には本当に心がある

  人間はもとより、全ての被造物には性相と形状とがあると、創造原理の中にあります。 人間に心と体があるように、動物や植物にも同様の要素がある。 それで、人間の心は全てのものの性相に通じるというわけです。 本日の教育部長会議で講義実演をした1人の教育部長が、この内容に触れた講義の中で、面白い実例を上げてくれました。 ある研究者が同じ種類の植物を並べて、ひとつの実験を行った。 同じ環境で同じ栄養を与...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

* by まめはち
おもしろい!そして納得です!

忠孝思想の環境を創りなさい

忠孝思想の環境を創りなさい

  環境がとても重要です。環境創造です。韓国の伝統思想が自然に身につくようにするのです。 注入式の教育も必要ですが、自然に体恤する教育と、そうさせる環境が重要です。忠孝の思想を学ばせなければなりません。そのための文化的要素を創り出しなさい。 (2013年天正宮博物館での真のお母様のみ言葉) このみ言葉に基づき、今年2013年の成和...

... 続きを読む

管理人のみ閲覧できます * by -

72年目の4月1日

72年目の4月1日

  京城商工実務学校を終え、1941年に日本に留学しました。日本をはっきりと知らなければならないという考えから出発した留学でした。 汽車に乗って釜山に下っていく時、なぜか涙が溢れて、外套を被っておいおい泣きました。涙と鼻水が止まらず、顔はぱんぱんに腫れ上がっていました。植民統治下で呻吟する孤児に等しいわが国を後にする心は、これ以上ないほど悲しいものでした。...

... 続きを読む

フラクタル的創造の御心

フラクタル的創造の御心

「フラクタル」 と呼ばれる概念があります。 フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念で、図形の部分と全体が自己相似になっているものなどを言います。 専門的なことは深く分かりませんが、どうも神様の創造にはこの概念が確かにあるようです。 文先生の自然観察の中には、この概念への洞察が見受けられます。 例えば、文先生が人の顔を観察される時、このように分析されます。 2つの目は、二性性相であら...

... 続きを読む

天のお母様をどうやって探したの?

天のお母様をどうやって探したの?

  ここ数日、『原理に関するみ言の証』(史吉子著)に没頭しています。 原理も文先生もはるかに見上げる泰山のようで、とてもその全貌を掴むことはできません。 しかし、その泰山に茂る1本1本の木の姿に、今まで思いもしなかった価値があるのを、この本を通して発見します。 今日紹介するのは文先生のみ言葉ではありませんが、とても意味の深い話だと感じたものです。 ☆☆☆ 大邸(テグ)に李月光(イ・ウォングァン)と...

... 続きを読む